毎日が慌ただしく、映画の撮影現場さながらの日々でした。

平成二十年、神代小学校の校舎改築工事は活況を呈し、窓の外の光景は連日目まぐるしく変化して落ち着かない日々。そんな中、ひっそりと登場した古い傷だらけのピアノ。当然廃棄処分の代物。しかし、外観を裏切る清らかで懐かしさを感じる響き。しかも、沈黙の鍵盤は連日の私の激励に応えるかのように、歌い始めたでありませんか。昭和二十九年、統合前の小松小学校の村人たちが、子ども達の為に尽力してくれた物と判明。そんな熱い想いも何もかもが、古い建物と共に壊され、こんなにも簡単に捨てられてしまうのか…心が痛みました。

―これが始まり。

仙北市立神代小学校第15代校長(平成19年~平成21年3月)

高橋洋子

2008.7神代小学校にてピアノを発見
2008.8交流センターに移動
2009.3.15本田さんリサイタルの折にお話し、「奇跡のピアノ」誕生
2009.4.18大人の発表会
-ねじ、ペダルの部品紛失発覚、大友さん応急修理-
2009.7Otoを楽しむ会-古きピアノに樺のアート・プロジェクト―発足
2009.7お知らせナビでこのピアノについての情報を求める
2009.7.11さくらサミットに出演
2009.8趣意書作成 募金活動開始
2009.9.15~奇跡のピアノの音色とともに~ 交流センター
本田武久・鳥井俊之 両氏による
嵐の中、神代小学校に移動
2009.11.8
奇跡のピアノコンサート 神代小学校
丸山ちはるさん、相澤校長Otoを楽しむ会メンバーによる
2009.11.9高橋正美さんの作業場に移動
2009.11.11作業開始
三浦勇・木元明彦・鈴木保さんも加わる
2010.2.25神代小学校に搬入
2010.3.2~3神代小学校、交流センターにてお披露目コンサート
本田武久氏・鳥井俊之氏による

1.ピアノとのであい

2008年7月、当時仙北市教育委員をしていた安藤代表は、神代小学校を訪問しました。その際、当時の高橋洋子校長より、「体育館の用具室に、使われなくなった古い傷だらけのグランドピアノがある。学校改築に伴い手放すことが決まっているが、思いがけないきれいな音がする。ところどころ出なかった音も、話しかけながらたたいているうちに出るようになってきた。」とのお話を伺いました。 実際にピアノと対面した安藤代表は、神代小学校の子供たちを見守ってきたこのピアノをなんとかしてここ仙北市に残したい、このまま廃棄されてしまうのはあまりにも寂しい……と考えたのです。
 
発見された当時のピアノ(角館交流センターにて撮影)
発見された当時のピアノ(角館交流センターにて撮影)
工事も迫っていたため、ピアノは翌月、角館交流センターの片隅に移動しました。
古いピアノの横で、どうしたものかと仲間たちと話し合うこと数回…
「傷だらけの表面に角館の伝統工芸樺細工を貼ったら素敵だけどね…」
と、夢物語のような話が誰からともなく飛び出しました。
翌2009年3月仙北市樺細工伝承館にて角館出身のテノール歌手本田武久さん、秋田市出身ピアニスト鳥井俊之さんのコンサート「もし、僕のうたに翼があったなら!」が開催され、その夜の打ち上げの席で古いピアノの話題になりました。経緯をお話ししたところお二人とも親身になって相談にのってくださり、話は急速に進展。
2009年8月、プロジェクト発足となりました。

おらほと奇跡のピアノ

「おらほ」は秋田県内の読売新聞購読者に月2回(現在は月1回)折り込まれる、地域の情報満載のミニ新聞です。 2009年9月20日号にて、私たちの活動を取材していただきました。 それ以来今日にいたるまで毎回、コンサート情報や記事を掲載していただき、ずっと応援してくださっています。
編集・発行の株式会社クリエイティブ・イマージュ児玉博行様よりメッセージをいただきました。

声なき声に耳を傾け寄り添える心

株式会社クリエイティブ・イマージュ
児玉博行
奇跡のピアノストーリーは12年前にさかのぼる―。
今にも廃棄されそうな一台のグランドピアノが、神代小学校の倉庫に置かれていた。
ピアノは「もう私の役目は終わってしまったの?」と淋しそうにささやいた…
きっとそう思う。
会話することのできない無機質なピアノから声なんて聞こえるはずもない。
でも違う。
「ほうら、そっと耳を澄ましてごらん。ピアノのささやきが聞こえるでしょ…」。
目に見えないものにも寄り添える心。声にならない声に耳を傾けることのできる心。
安藤満里さんはじめ音楽を愛する市民有志が、そんなピアノの声なき声に耳を澄まし 心の声を聞いてくれた。
「廃棄されてしまうのはもったいない」と 市民有志が決起。
キズの目立つピアノに地元の伝統工芸「樺細工」を施し、よみがえらせようとOtoを楽しむ会~古きピアノに樺のアート・プロジェクト〜を結成。
その趣旨に賛同した仙北市出身のテノール歌手・故本田武久さん、ピアニストの鳥井俊之さんらは、チャリティーコンサートを開き資金集めに協力。
調律師の大友佐十郎さん、樺細工職人の高橋正美さんらが心を一つにした。みなさんの思いの丈がピアノに息吹を吹き込み、よみがえらせる原動力になった。
日々の活動が思いを深くし、思いの深さがやがて想念となった。
その想念に動かされるように みなさんの活動にもより拍車がかかり、さまざまな人たちの心を揺さぶり奇跡を起こした。
取材(おこがましいですが)とはいえ、みなさんの12年間の活動の歴史の一端にかかわらせていただいたことこそが、私にとってはかけがえのない大きな人生経験の一つになったと思う。
感謝しなければならないのは私の方。
みなさんの12年間の活動にはただただ敬意を表するばかり。
「名も知らない草花のささやきに心動かされるような…、たとえちっぽけな物にでも慈しみの心を持って接することができるような人間でありたい」
と、みなさんの活動を通じて学びを得たような気がする。
みなさんご健康には呉々もご留意され、これからも活動を続けていただけたらと願ってやみません。 2021年10月

2.装飾前のコンサート

2008年8月に角館交流センターに移動してから、古いピアノの状態で4回コンサートを行いました。(大人のピアノ発表会、さくらサミット参加、本田武久さんコンサートなど)
その後、樺細工工房へ入る前日に神代小学校でのコンサートが実現。
ピアニスト丸山ちはるさんを迎え、前校長高橋洋子先生のおはなし、相澤克彦校長とOtoを楽しむ会のメンバーによる演奏、神代小学校児童による歌、そして最後に会場のみなさんと一緒に「わかば」を歌いました。
神代小学校でのコンサートの様子

3.ピアノの装飾

2009年11月、ピアノを工房へ運び、いよいよ作業が始まりました。 「ピアノに樺を張る」という、大仕事を引き受けてくれたのは伝統工芸士の高橋正美さん。お仲間の三浦勇さん、鈴木保さん、木元明彦さんにも呼びかけてくださり作業開始となりました。
まずは古いピアノの塗装を剥がします。ピアノの塗装は特殊な塗料で何度も塗装と研磨を繰り返して肉厚な仕上がりになっているので、剥がすのも大変な作業だったとのことです。その後表面を磨き、いよいよ樺を張る工程へ。髙橋さんが「いつか大物を作るときに」と30年間大切に保管していた桜の皮を提供してくださいました。
天板には、見る角度によって色あいが変わり、立体的な表情を見せる矢羽根模様、側面や天板のふちの曲線には削らない樺を張り、やわらかな味わいを感じます。
天板には、見る角度によって色あいが変わり、立体的な表情を見せる矢羽根模様、側面や天板のふちの曲線には削らない樺を張り、やわらかな味わいを感じます。
天板(ピアノの大屋根)、天板のふちの曲線の部分、ピアノの側面には、さまざまな工法で樺が張られました。また戸澤ボデーさんの工場では、ピアノの脚と、鍵盤周辺の木の部分に塗装が幾重にも重ねられました。車に使う最高級の塗料だそうです。目を見張る深く美しい黒色に仕上がった脚は圧巻です。

職人さんのご紹介(敬称略)

樺細工

高橋 正美三浦 勇
鈴木 保木元 明彦

塗装

戸澤 圭悦戸澤 義幸
門脇 英博佐々木 登
林 隆一

4.完成お披露目コンサート

2010年3月2日神代小学校、3月3日仙北市角館交流センターにて完成お披露目コンサートを行いました。2日には新聞やテレビなど多くのメディアの方々が取材のため来校され、翌日の新聞に大きく取り上げていただきました。
神代小学校でのお披露目コンサートの様子。かつてピアノがあった旧小松小学校の卒業生の皆さんがお集まりくださり、校歌を演奏しました。

調律師さんのご紹介

調律師、大友佐十郎さん。
まだ樺細工が張られる前の古いピアノで大人のピアノ発表会を行ったとき、ねじやペダルの部品が不足していました。大友さんが応急処置で直してくださり発表会を行うことができました。
長い間倉庫に置かれたままのピアノでしたので、その後時間をかけて何度も丁寧に調律をしてくださいました。 コンサートのたびに大変ご難儀をおかけしました。桜の季節の連続コンサートの際は期間中にも様子を見に来てくださいました。
大友さんと奇跡のピアノ
ピアノの調律を行う大友さん

2010年より平福記念美術館にてコンサートを行っております。